私の歩み

略歴
1952年 亀山市南野町に生まれる。
  亀山西小学校、亀山中学校、津高校、和歌山大学経済学部卒。
1972年 大学在学中に日本共産党に入党。
1975年 津市役所に入る。1999年立候補のため退職。
1999年 亀山市議会議員に初当選。2001年産業建設委員会副委員長。
2003年

亀山市議会議員に再選。

2006年 亀山市議会議員に3期連続当選。

社会へ目を向けだした高校時代

子どもの頃は、野球が好きで近くの愛護園やお寺でよく遊びました。
高校時代は、勉強よりも政治・社会への関心が強く、3年生の時には、安保・沖縄問題でクラス討論をしたり、集会やデモに参加しました。

世の中のしくみを学んだ大学時代

大学へ入り寮生活をする中で、大学の貧困な施設をよくしたい、矛盾の多い世の中のしくみを知りたいということから民青同盟や自治会活動に参加。寮長や自治会役員などで活躍。そして世の中を変えていくために1972年に日本共産党に入党しました。

働きやすい職場にするために労働組合運動へ

津市役所へ入り、働きがいのある職場づくりをめざして市職員組合青年部長や市職員組合書記長として活動。人材育成制度という名の勤務評定を廃止させた運動は印象に残っています。

子どもの成長とともにPTAの活動へ

「自分の子どもをよくするには、まわりもよくならないと」という思いからPTA活動に参加。西小学校PTA会長として役員さんたちといっしょに広報紙の発行や遊び場マップづくり、また、寒い教室へストーブを入れるように、市へ要求もしました(現在では実現している)。

ソフトボールを通じて地域活動へ

子ども会やスポーツ少年団活動に子どもが参加するようになり、親として、指導者としてかかわるようになりました。ナンバーワンスポーツ少年団の団長になり、ソフトボールや少年団活動を通じてたくさんの方々と知り合い、子どもの健全育成とスポーツ活動の発展をめざして活動してきました。

市議会へ突然の立候補

1998年の年末に突然、来春の市議会への立候補の話しが飛びこんできました。悩みに悩んだ末「自分を生かせる道ならば」と決意しました。短期間の選挙準備でしたが、同級生、スポーツ少年団の人たち、地元町内の人たちなど多くの人に支えられて、当選することができました。

市民とともに要求実現に取り組み再選を果たす

1期目の4年間、「こうきの議会報告」で市民の皆さんに活動報告し、市内巡回バスの実現や長良川河口堰の水を水道水に入れさせないなどの市民要求を市民のみなさんといっしょに取り組み実現させました。
そしてこうした活動を背景に2003年4月には、2期目の当選をしました。

関町との合併後、初の市議選で3度目の当選

2005年1月11日に、となりの関町と合併し、合併後の在任特例期間(1年9ヶ月)を経て2006年10月に新亀山市として初の市議選が行われ、前回得票より329票も増やし3期連続の当選を果たし、現在に到っています。


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