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【09.04.13】亀山九条の会の活動で死者が9名まで明らかに 阿野田レンガ橋列車銃撃事件

新たに3名の方の名前と4名の方の死亡が判明

宗英寺のイチョウと豊田クリニックの桜桜の花が散りかける頃に、イチョウの木が新緑に覆われ始めています。
家の近くの豊田クリニックの桜の花とイチョウ寺の新緑が同時に見られました(左の写真)。
さて先日、亀山九条の会の世話人会議で2月に開催した「阿野田レンガ橋列車銃撃事件について語る会」のその後の報告がありました。
岩脇さんの報告によれば、2月の「語る会」に参加された方からもたらされた証言をもとに尋ね歩いた結果、これまで亡くなられた方が2名しか名前が判明していなかったのが、新たに四日市市や菰野町などの3名の方の名前と、名古屋市などの4名の方(名前は今後の調査による)の死亡が判明し、合計9名の方が亡くなられたことが判明しました。

市にも働きかけて戦争犠牲者の冥福を祈るために慰霊碑を建てたい

レンガ橋列車銃撃事件の現場この「阿野田レンガ橋列車銃撃事件」は、終戦直前(1945年)の8月2日に起きた亀山での唯一の空襲でしたが、列車という様々なところの人が乗り合わすという特殊な事情により、亡くなられた方がなかなか判明しないという困難さがありました(犠牲者が40人ほどだったという証言もありますが定かではありません)。
今回、亀山九条の会で「語る会」を企画し、新聞各社の協力も得て県内全域に情報を呼びかけた結果、電話での情報提供や当日の会場での証言など多くの情報が寄せられました。
改めてマスコミの力の大きさに驚くとともに、新聞各社の協力に感謝します。
亀山九条の会では、こうした作業を丁寧に進めながら今後もできる限り空襲の真実を明らかにするとともに、市にも働きかけて戦争犠牲者の冥福を祈るために慰霊碑を建てることも検討しています。
それにしても敗戦から60年以上経過した今でも、人生の最後がどんな状況だったのかわからないままの方がいるという現実は大変悲惨なことです。

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