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【08.05.24】「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」(マルクスの「資本論」より) ルールある資本主義へ
久しぶりに資本論を手にとった
サンデープロジェクトで不破さんや志位さんが語ったことへの反響は大きく、私も久しぶりに「資本論」を引っ張り出し、志位さんが引用した部分を読んでみました。
志位さんが引用した資本論の一部に、「‘大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!’これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命に対し、何らの顧慮も払わない。・・・しかし、全体として見れば、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家に対して外的な強制法則として通させるのである」というくだりがあります(資本論第1部第3編第8章「労働日」より)。
これは資本というものは、労働者の健康と寿命に対し何らの顧慮も払わずに、ひたすら労働日の非人間的延長を追求するという指摘です。
「資本は社会によって強制」されないととまらない
現代でも労働者にサービス残業を押しつけ、QC活動という労働時間に含まれるものでも残業とせず、裁判で訴えられ負けるとようやく改善する−こうした事態が多くあります。
資本論は、こうしたことは資本家が善意の人であるか悪意の人であるかで決まることではなく、資本主義の社会では「もうけ」の追求という点で立ち後れると自由競争に負けてしまうのです。
それゆえ「大洪水」(資本論の場合は無制限な労働日の延長による労働者の衰退を指している)を防止するには、資本論にある「資本は社会によって強制されるのでなければ・・・」というくだりが重要な意味を持ってくるのです。
130年以上経っているのに、その指摘が資本主義の本質を突いたものであるため、今でも十分に通用する本
今、大企業による派遣労働などの人間の使い捨てや「もうけ」のためには地球温暖化対策にも反対する一部の大企業などが批判されていますが、社会全体が法律などでこうした大企業を規制しない限り、労働者や地球環境がどうなろうとももうけの追求はやめません。
ソニーの会長だった故盛田昭夫氏がある本で「日本の現在の企業風土では、あえてどこか1社が改革をやろうとすれば、その会社が結果的に経営危機に追い込まれてしまうような状況が存在しています。・・・日本の経済・社会のシステム全体を変えていくことによって、初めてその実現が可能になる」との指摘はこうしたことを指しています。
日本共産党が資本主義の枠内での改革として主張する「ルールある資本主義を」というのは、こうした「大洪水」を防止するために大企業に対して法律などによる社会的規制が必要だという主張なのです。
今回のテレビ番組で長らくご無沙汰していた「資本論」を読む機会ができたことを嬉しく思うともに、マルクスが第1巻を刊行してから130年以上経っているのに、その指摘が資本主義の本質を突いたものであるため、今でも十分に通用する本であることを改めて認識した次第です。
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