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【08.01.02】新年あけましておめでとう 自由研究を読んで平和への思いを強くした

父の青春時代は戦争だった

山形屋さんの門松(東丸町で)新年あけましておめでとうございます。
新しい家でのお正月ですが、家全体が暖かく快適に過ごしています。
さて、年末に16年前に作られた父が語った沖縄戦の記録「おじいちゃんの戦争体験とぼくの見た沖縄」という自由研究を読みました。
この自由研究は、姉の息子が小学校6年生の時に父から話を聞き、その後、家族で沖縄を訪れまとめたもので立派な戦争体験記録です。
父は大正10(1921)年6月の生まれで1942年1月(20歳)に召集され、1944年8月(23歳)に沖縄へ移動し、通信兵として沖縄戦をたたかったひとりです。

戦争体験を記録し、語り継ぐ活動が大事

16年前に姉の息子がまとめた自由研究この自由研究の後書き(おじいちゃんの戦争体験を聞いて)には、「沖縄戦の苦しさなどがよくわかった。特に4ヶ月近くも戦争が終わっても壕の中の生活というのは、苦しかったと思った。特に昼間はずっと息をこらしているということは、僕にはたえられないと思う。話を聞いてアメリカ兵につかまったら助かるのにと思うけど、そのころの人たちは殺されると思ったんだなあとわかった。南部への移動の時、死体が山のようにあり、まっ白にうじがたかっていたと聞いて想像もできないくらいだった(以下略)。」
1945年7月にアメリカの沖縄作戦の終了宣言が出されましたが、自由研究にあるように壕の中の兵隊たちはそれを知らされず、父は4ヶ月も壕の生活を続け、最後は栄養失調で動けないでいるところを11月にアメリカ兵に助けられ、病院で6ヶ月、収容所で6ヶ月を過ごし1946年11月にようやく名古屋に帰ってきたということです。
その時の様子を父は、「伊勢湾の石原産業のえんとつが見えた時には、涙がとまらなかった」と語っています。
新しい年を迎え、こうした体験を持つ人が年々少なくなる中、私たちがこうした戦争体験を記し残していく活動を強めようと気持ちを新たにしています。
体験者が語れなくても文章は残すことができるのだから・・・。

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