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【07.01.20】亀山九条の会で戦争遺跡めぐり
古代の「鈴鹿の関」、江戸時代の町並み、それに近代の戦争遺跡
今日はおだやかな日でしたが、亀山九条の会で市内に残る戦争遺跡を見てまわりました。
案内役は西小学校の岩脇先生で約20人が参加し、まず、関の観音山周辺の地下壕に行きました。
ここは現在でも15本の地下壕が残っていますが、この壕では、機銃の生産がされていたとのことでした。
戦争遺跡とは違うのですが、すぐそばに最近、発見された古代の遺跡「鈴鹿の関」があったのでそれも解説してもらいました。
関のまちは、古代の「鈴鹿の関」、江戸時代の町並み、それに近代の戦争遺跡と日本の歴史を学ぶいい場所であることを再認識をしました。
川崎小学校には兵舎の正門や噴水池が残っている
次に向かったのは、辺法寺の不動院西下の地下壕です。
この壕は関ほど大きなものではありませんが、この壕のある野登の谷は能褒野にあった北伊勢飛行場の物資疎開の要所となっていたようです。
地下壕はコウモリの生息場所として大切なものということも教えていただきました。
次に能褒野にあった北伊勢飛行場跡を示す遺跡を見ました。
この地域は、住宅がどんどん建ち、戦争遺跡はほとんど残っていないのですが、コンクリートでつくられた頑丈な格納庫跡が少し残っています。
また、川崎小学校には兵舎の正門や噴水池が残っています。
戦争遺跡として文化財に登録されている唯一のもの
最後に行ったのが鈴鹿市三畑町(能褒野から少し鈴鹿市に入ったところ)の掩体壕(えんたいごう)で、飛行機の格納施設のことです。
この格納庫は、かまぼこの形をしたコンクリート製で大変、大きなものです。
三重県で戦争遺跡として文化財に登録されている唯一のもので、全国で49番のものということです。
ただ、この土地の持ち主の方の話によれば、文化財に登録はされたが雨漏りなど保存のための修理が必要なのに、なかなか行政が動いてくれないとのことでした。
今日の戦争遺跡めぐりで「亀山にあった戦争」を改めて認識するとともに、今の時代を戦前と呼ぶことのないようにすることが私達、九条の会の仕事だということを強く感じた1日でした。
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