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【05.11.21】「侵略生起の可能性は低下している」のになぜ、国民保護計画か?

有事法制の具体化がなぜ、すすめられるのか

冬の鈴鹿川(忍山「おしやま」橋付近)「スピード」、「効率化」、「経費削減」−今の時代、これが至上命題のようになっていますが、その結果、もたらされたのがJR西日本の事故であり、今回、発覚したマンション耐震強度偽造です。
結局、こうした至上命題を実現するために、犠牲にされるのが安全対策であり、安全対策には費用と時間がかかるのです。こうした安全対策が、企業の「もうけ最優先主義」で犠牲になった事例は、枚挙にいとまがありません。
「ゆっくり」、「ていねいに」、「安全に」という命題に置き換えるべきではないでしょうか。
さて、11月18日のHPで「後日、報告します」と書いた国民保護計画ですが、調べてみると本当に危険な動きです。というのは、昨年12月に政府が策定した「防衛計画の大綱」では、「見通しうる将来において、我が国に対する本格的な侵略生起の可能性は低下していると判断される」と明記され、日本「有事」の可能性が低下していると判断しているのに、有事法制の具体化がなぜ、すすめられるのかということです。


「今を戦前と呼ぶことのないように」

戦争中に列車襲撃のあったレンガ橋(阿野田町)今回の動きを憲法9条の改悪やイラク戦争への自衛隊派遣、靖国参拝の強行や戦争を美化する歴史教科書問題などと結びつけて考えるとよくわかります。
本来、政府は「有事」をつくり出さないように平和外交の努力をアジアを中心に重視すべきです。
ところが、政府の姿勢はアメリカ一辺倒で、基地問題でも自治体の首長のより、ブッシュ側につく発言をし、また、アジアから批判されている靖国問題などでは、改める姿勢は全くなく、アジアから孤立しています。
こうした外交を続けているからこそ、今回の「国民保護計画」などという発想が出てくるのです。アジアがどう思おうとアメリカの世界戦略に沿って何でも「イエスマン」として動き、アメリカの起こす戦争に備えたいのです。
私達が望んでいるのは、戦争への備えではなく、戦争をしないための平和外交の努力です。
「今を戦前と呼ぶことのないように」という新聞の名文句がありましたが、本当にそうならないようにこうした危険な動きに反対する運動を広めなければなりません。

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